
【第一話】五十肩「先生、シートベルトができないんだよね。」

【第一話】
「先生、シートベルトができないんだよね。」
「先生、シートベルトができないんだよね。」
診察室に入って最初に聞いた、この一言を今でも覚えています。
この時の私は、この患者さんと11か月もの時間を一緒に歩むことになるなんて思ってもいませんでした。
肩関節周囲炎。
いわゆる五十肩。
治療家として数多く診てきた症状です。
だから正直、この時は特別な症例だとは思っていませんでした。
「しっかり診て、しっかり治していこう。」
そのくらいの気持ちで検査を始めました。
でも、この患者さんとの出会いは、私自身にとっても忘れられない症例になりました。
患者さんは、足立区竹ノ塚にお住まいの40代の女性。
最初に来院されたのは、お母さんではありません。
中学生でバレーボール部に所属するお子さんでした。
ケガで来院され、一緒にリハビリを頑張り、無事に競技へ復帰。
その後、お母さんが来院されました。
患者さん
「先生、今度は私なんだよね。」
栗田
「どうされましたか?」
患者さん
「肩が痛くてさ。シートベルトができないんだよね。」
私は右肩を見ながら話を伺いました。
栗田
「いつ頃からですか?」
患者さん
「半年くらいかな。そのうち治ると思ってたんだけどね。」
その言葉を聞いて、生活の様子が浮かびました。
朝は家事。
仕事。
夕方はお子さんの送り迎え。
車に乗るたびに肩が痛い。
それでも自分のことは後回し。
「そのうち治る。」
そう思いながら半年が過ぎてしまったのでしょう。
これは決して珍しいことではありません。
当院でも、お母さん世代の患者さんは、ご自身より家族を優先してしまう方が本当に多いんです。
私は検査を始めました。
肩は途中までしか上がりません。
後ろへ手を回す動きも難しい。
でも、一番気になったのはそこではありませんでした。
栗田
「夜は眠れていますか?」
患者さん
「寝返りすると起きちゃうんだよね。」
その一言で考え方が変わりました。
目次
半年経っていても、炎症は終わっていない。
肩関節周囲炎は一般的に、
炎症期。
拘縮期。
回復期。
この3つの時期をたどることが多いと言われています。
炎症期は夜間痛が強く、何もしなくても痛い時期。
拘縮期は炎症が落ち着き始める一方で、肩が固まり動かなくなる時期。
回復期になると少しずつ可動域が戻ってきます。
でも、私は「半年経ったから拘縮期」とは考えません。
教科書どおりに進む患者さんばかりではないからです。
この患者さんには夜間痛がありました。
つまり、炎症はまだ終わっていない。
私はそう判断しました。
だから最初から無理に肩を動かすことはしませんでした。
まずは炎症を落ち着かせる。
そのために鍼治療から始めることにしました。
【1か月目】
思いどおりにいかない。
治療が始まりました。
でも、思うように変化が出ません。
施術直後は少し楽になる。
でも数日すると戻る。
夜はまた眠れない。
その繰り返しでした。
患者さん
「先生、まだ痛いんだよね。」
栗田
「分かりました。焦らず一緒に頑張っていきましょう。」
患者さんにはそうお伝えしていました。
でも、本当は焦っていました。
栗田(心の中)
何百人も肩関節周囲炎を診てきた。
同じ時期にも肩の患者さんは何人も来院している。
皆さん少しずつ改善している。
なのに、この患者さんだけ思うように変わらない。
診療が終わっても頭から離れませんでした。
カルテを開いては閉じる。
「何か見落としているんじゃないか。」
「この判断で本当に良かったのか。」
そんなことばかり考えていました。
実は昔、勤務していた頃の私は、肩を無理に動かす施術をしていました。
患者さんが涙を流すほど痛い施術をしたこともあります。
当時は、それが正しいと思っていました。
でも経験を積む中で分かったことがあります。
炎症が強い時期に無理をすると、回復が長引く患者さんもいる。
だから今回は焦っても動かさない。
治療家としてではなく、一人の人間として、自分にもそう言い聞かせていました。
【2か月目】
少しだけ光が見えた。
ある日、患者さんが笑顔で話してくださいました。
患者さん
「先生、この前ね、久しぶりに少し眠れたよ。」
その一言で、本当に安心しました。
炎症が少しずつ落ち着いてきた。
ここからは拘縮を改善していく時期です。
筋膜リリースを加えながら、肩甲骨の動きを改善し、少しずつトレーニングも始めました。
肩は少しずつ動き始めます。
私の中にも希望が見えてきました。
栗田(心の中)
ここまで来れば、このまま良くなっていける。
そう思いました。
本当にそう思っていました。
治療が終わり、患者さんが帰ろうとした時でした。
患者さん
「先生、実は左肩もちょっと痛いんだけど。」
一瞬、右肩をかばって使っていた影響だと思いました。
栗田
「分かりました。次回、左肩もしっかり診させていただきます。」
患者さん
「先生に任せる!」
その言葉に私は、
「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう。」
とお答えしました。
でも、この時はまだ知りませんでした。
右肩が少しずつ良くなってきたその裏で、もう一つの肩にも同じ病気が静かに始まっていたことを。
──第二話「先生、左肩が痛くて眠れないんだよね。」へ続く。
